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港で1番の働き者は、広い心で夢を叶える男だった

齋藤俊一郎さん(さいとうしゅんいちろうさん)

釣り船頭、漁師食堂を営む地元出身の漁師さん。港を残すために変化を恐れずに挑戦し続ける。将来を見据えたその目には次の夢が。

どんな活動をしていますか?

18歳のときから船頭となり、一人で海に出始めました。10年前に民宿を改築して飲食店の「船頭の台所」を始めました。現在、新店舗を建設しており新たに従業員を増やす予定です。「船頭の台所」では刺身や天ぷらといったような漁師料理を振る舞っています。素材はすべて仲間や自分たちで採ってきた大原の沖の魚です。1番自信を持って提供しているメニューは刺身です。これは残された事がないと自信を持って言えます。

はじめたきっかけはなんですか?

私の父は体の具合が悪くなってしまったため、2代続いてきた漁師を辞めようとしていました。一方で、私は何が何でも船に乗りたいと考えていました。私が自分の船でなくても他人の船でも乗る、と言っていたら父がそれなら自分の船を使え、と言ってくれたので、10歳で私は船に乗り出し、漁師となりました。そこまでして、漁師になりたかった理由は、普通のサラリーマンになるより夢があるからです。その後、16年ほど前に「いさばや」という直売所を始めました。その延長線上で「船頭の台所」を始めました。

一番大切にしていることはなんですか?

大切にしている事は夢を持ち続ける事です。夢を持ち、それを叶えまた夢を持ち、この繰り返しが今の私を創りました。常にこうしたい、お客さんにこうしてあげたいという夢を持つ事が原動力となりチャレンジができます。他と同じ事をしていても何も変わりません。東日本大震災後にはお客さんが激減してしまいました。その時は目の前が真っ暗な状態になりました。しかし、夢を持ち続け挑戦し続けてきたことで、震災という大きな壁を乗り越える事が出来ました。まだ震災前までの状態までは回復していませんが常に前に進んでいます。

 

今後の目標を教えてください

「船頭の台所」では売り上げを現在の2倍にすることです。また、現在のお客さんに加えて、息子たちで新たなお客さんを作ってもらう事です。漁港としては船に乗りたいという若者に対してはもっと開放的にならなければなりません。現在は家業で漁師を継ぐ人が大半です。しかし現状のようにそれだけでは後継者が少ないため、いずれ港は消えてしまいます。だから、新たに後継者となる人を積極的に受け入れ、育てて行く意識作り、体制作りをしていかなくてはなりません。今では2年間助手として船に乗れば、組合員として船に乗る事が出来る制度もあります。都市部から来て、その制度を利用して船に乗るようになった人もいますが、まだわずかです。そういった人も増やして行きたいと考えています。

新しくいすみに来る方へメッセージをお願いします

釣りをしたい、漁師になりたいといったように大原の海に興味のある若者であればどんどん挑戦しに来てほしいと考えています。夢を持っている若者にとって大原の海は夢を叶える事が出来る場所になり得ると考えています。しかし、最低限守って欲しい事は組合員としてルールを守ってもらう事です。やはり海は個人のモノではないためどうしてもルールが存在します。事故を防ぐためにもルールを守る事が必要です。そして、若者の意見を積極的に地元の人に言って欲しいと考えています。その意見が大原の漁港、また、いすみ市全体を変えて行く事が出来ると思います。

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